葬儀は日本のみならず世界中で重要な儀式として認識されていますが、現代の世界では時折「既に死んだ人に対してそうしたことをしても意味はない」というような声が上がることもあります。これは一つの考え方としては、決して間違えたものではないでしょう。少なくとも現代の科学においては、脳の活動が停止している人に対して何かをしてあげたとしても、それを認識することはないとされています。ただしかし、だからと言って葬儀の意味はないというような考え方が唯一無二の物であるのかと言われればそれは違うでしょう。

まず葬儀の意味として特に大きいものの一つとして、遺族の精神的な安息のためということが挙げられます。往々にして人の死というのものは受け入れがたい事実であり、大切な人の死であればこそ受け入れるには辛い事実としてのしかかることになることでしょう。そうした辛い事実がある中で葬儀を行うということは、故人はもう帰ってこないのだという事実を受け止めるための場となってくれます。誰もいなくなった空間をただ見るよりも、しっかりとした受け入れの場を作ることで悲しみは乗り越えやすくなるのです。

また別の意味合いとしては、社会的な儀礼としての意味合いもあるでしょう。例えば先ほどのことは特に家族や親せきのことでしたが、現代の人間は社会と共に生きています。その中で知り合いや友人などが亡くなったことを知る席を設けることは意味のあることでしょうし、そしてその葬儀に呼んで最後の別れの時間を作ってあげるのです。こうしたことを考えると、やはり「意味はない」として切って捨てることは少々問題があると言えるでしょう。

もちろんそうした考え方も一つの考え方として尊重されるべきではありますが、少なくともここまで儀式の一つとして定着している背景にはそれなりの意味があるものなのです。

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